兵庫大仏だけじゃない「能福寺」
古い歴史と事件に彩られた能福寺。兵庫大仏だけやないんですよ。
前回は兵庫大仏の話で終わってしまったので、今回は兵庫大仏がある能福寺の話です。調べてみたら歴史は古くて、805年(延暦24年)に、なんと、かの最澄により能福護国密寺として創建されたとらしいで。805年というと平安京に遷都されて10年経ったくらいか。歴史のあるお寺なんやなぁ。日本最初の密教教化霊場として有名みたい。教化霊場って何やろなぁ。
分からへ~ん。最澄さんやから初めての仏教的な教えを広める場所みたいな感じかな?自信ないけど。でも大仏さんの横に建ってた月輪影殿は大きくて立派な本殿やったね。1953年(昭和28年)に京都東山の泉涌寺の中にあった墓陵(月輪御陵)を移築したものらしいよ。
能福寺と平清盛
能福寺と所縁の深い人物といえばやっぱり平清盛やな。平清盛が福原京遷都を計画していたときに、平家一門の祈願寺に定められたらしく、清盛自身も1168年(仁和3年)にこのお寺で剃髪したそうやで。亡くなった後は能福寺の領内にあった八棟寺に埋葬され、平相国廟が造立されたんやけど、平家が滅亡したときに焼き払われてしまったんやな。
十三重石塔は1286年(弘安9年)に時の執権北条貞時が平家一門の栄枯盛衰を哀れんで建てた供養塔やねんて。今の平相国廟は昭和55年に再建されたものみたいやね。
源平合戦の平家だよね。福原遷都の舞台だけあって歴史の足跡が色んなところにあって面白いね。この石塔とか鎌倉時代から伝わっているのかと思うと、さすがに歴史に疎い私でも胸が熱くなるね。
瀧善三郎と神戸事件
お寺の中に「瀧善三郎正信顕彰碑」っていうのがあるんやけど、これはなんやろね。「神戸事件の犠牲者」って立札が立ってるしちょっと気になる。
俺もここに来るまで知らんかったよ。神戸事件は明治政府初の外交問題と言われてて、戊辰戦争が始まったころ、三宮神社前で西宮の警備に向かう備前藩の隊列を横切ったフランス人水兵を、瀧が負傷させたことが発端になって、銃撃戦から最後は外国の艦隊と備前藩兵の撃ち合いにまで発展した事件なんやって。最終的に瀧善三郎が切腹して決着したんやけど、その瀧善三郎の供養碑が「瀧善三郎正信顕彰碑」。
切腹かぁ。外国人にとったら切腹して解決を図るって行為は衝撃的だったんじゃないかなぁ。
三宮神社前には「神戸事件発祥の地」の記念碑と当時の大砲を見ることができます。三宮神社のさらに詳しい記事は「三宮神社~神戸の中心地を守護する神社~」をご覧ください。
何かよく分からないものたち
他にも独特の雰囲気を醸し出してる像とか塔とかも結構あったね。雑然と無造作にそこかしこにあるので面白いような怖いような……
今回は見れなかったけど、他にも日本最初の英文碑と言われるジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)による寺の由来碑や、木造十一面観音、円實墓、北風正造君碑など、まだまだたくさん見るものがあるよ。
兵庫七福神と清盛七辨天。気になる……
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