舞子公園~明石海峡を臨む景勝地
歴史に合わせて姿を変える美しい天下の景勝地
明治天皇が7回も行幸されたという舞子浜。舞子公園は舞子駅のすぐ南に位置し、穏やかに波がゆらめく明石海峡と、整然とした美しさで立ち並ぶ松林の中に、文化財住宅などが溶け込んだステキな公園です。勇壮な明石海峡大橋を目の前で大迫力の距離で堪能できます。休みの日でも人が少ないのんびりしたお散歩スポットです。
※撮影したのは2014年8月頃なので記事の内容が現在と異なる場合がありますのでご了承ください。
歴史ある都市公園
古くから詩歌に詠まれる舞子浜。明治33年(1900年)、舞子公園は初の県立都市公園として開園されました。孫文が亡命中に立ち寄ったという移情閣(孫文記念館)や文化財住宅、そして世界一の吊り橋である明石海峡大橋など、時代ごとに姿を変えつつも、天下の景勝地として古くからの美しい景観を残しています。
旧武藤山治邸(旧鐘紡舞子倶楽部)
1907年に建てられた木造2階建てのコロニアル様式の建物です。明治期の西洋館の住宅形式や当時の実業家の生活を知る貴重な建物です。
※舞子公園パンフレットより
もう一つの文化財住宅である「旧木下家住宅」が駅の北側にあるようで、こちらも次の機会に立ち寄りたいと思います。
さらに進むと「明治天皇の歌碑」が威風堂々とした佇まいで建っています。明治天皇の最初の行幸の様子が3種の御製(ぎょせい)とともに歌が刻まれています。初めて「御製」という言葉を知りました。天子がつくった詩歌のことだそうです。勉強になります。
明治天皇の歌碑
明治天皇は舞子の景勝をことのほか愛され、1885年以来、7回にわたって行幸されました。その最初の時の様子が、歌碑に3首の御製と共に刻まれています。
有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)殿下が御別邸を建てられるまでは、舞子有数の料理旅館だった亀屋旅館がよく御在所となっていましたが、1928年の国道2号の拡幅工事で移転することとなり、1936年の国道工事竣工に合わせて、この旅館の跡に明治天皇の歌碑が建立されました。また、この歌碑は1998年の国道拡幅により、舞子公園内の位置に移築されました。正面の御歌
播磨潟(せき) 舞子の浜に 旅寝して 見し夜恋しき 月の影哉右面の御歌
あしたづの 舞子の浜の 松原は 千代を養う 處(ところ)なりけり左面の御歌
播磨潟 舞子の浜の 浜松の かげに遊びし 春惜しぞ思ふ※歌碑の説明書きより
孫文記念館(移情閣)
中国の豪商呉錦堂が別荘として建てた「移情閣」は、異国情緒豊かな建物で、松林とも調和し、舞子浜のシンボルとして親しまれてきました。そしてここに、中国革命の父・孫文が亡命中に立ち寄ったことから、日中国交回復10周年を記念し、昭和59年(1984年)、「孫中山記念館」(現「孫文記念館」)として開館しました。
※舞子公園パンフレットより
モニュメント「夢レンズ」
三種の異なった石肌によるメビウスの輪は人、自然、科学を、そして明石海峡大橋が結んだ本州と淡路・四国を表しています。この三つの相が調和し、円空から未来への発展を展望しています。
彫刻家 牛尾 啓三
神戸市長を5期務めた、原口忠次郎の偉業をたたえて建立された記念碑とのことです。ポートアイランドの中公園にもこの人の銅像がありましたね。中公園の正式名称は「原口記念公園」で原口忠次郎の名が冠されています。神戸では色々なところでこの名前を聞きます。すごい方だったんですね。
明石海峡大橋がだんだん近づいて大きくなってきました。長くなるので明石海峡大橋に関しては別の記事で紹介します。
橋を通り抜けてすぐのところに「橋の科学館」なる建物がありました。明石海峡大橋の全てが分かる(らしい)サイエンスミュージアムです。明石海峡大橋のゆるキャラ「わたるくん」が窓から手を振ってます。
垂水駅からスタートして五色塚古墳を経由し結構な距離を歩きましたが、のんびりとした散歩コースだと思います。
そんなに人も多くなく、釣りを楽しむ人や、橋の下にはベンチとかもあってお昼寝してる方々の姿も。日常や時間を忘れてリフレッシュできる空間やったなぁ。天気が良ければ一日ダラダラしてられるわぁ~。
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